2016年1月 いわき市を歩く

Last Fight事務局Eさんから「久々にいわき市に行ってみませんか」との誘いを受ける
2014年11月、「小山卓治 vs 白浜久 in 南相馬」の時にオープニングを務めてくれた原町セッションズの面々も集まるという
昨年は何かと慌しい一年で福島でのライブも叶わなかったし世話になった方々とも御無沙汰だった
ならばとフライヤーと某TV局への企画書をさっさと書き上げ同行することにした

30日午前9時半に東京を出発
予報は雪
スタッドレスを装着したレンタカーは最新型のトヨタ・ヴィッツ
時折小雨が降る程度で降雪の気配は無い
路面も良好 これならノーマルタイヤでも大丈夫だったかも知れない

午後1時にいわき市のスタジオに到着
出迎えてくれた斉藤さん(右)と伊東さん(中央)は13年の福島ライブからの付き合いである
左はスタジオのオーナーさん
「福島の音楽事情は厳しい。でも頑張りますよ」と仰っていた

原町セッションズの面々
2014年11月の南相馬ライブではスタッフ、集客、オープニングアクトまでやってくれた
仕事で福島を離れている方もおられるが故郷再生に日々尽力する技術者達だ

セッションの後は旅館で宴会
震災で床がひん曲がっていて平衡感覚がマヒする萎びた宿だったけど料理は美味しかった
無機質なホテルよりずっと居心地が良い

原町セッションズの殆どの方は技術職だから興味深い話を沢山聞かせて貰った

いわき市の被災状況だが
家屋全壊はおよそ2300棟、うち半分が流失
半壊3000棟、一部損壊3000
津波による死者は宮城県、岩手県の次に福島だがその中でいわき市の犠牲者は圧倒的に多い
そして驚くべきことに津波後の死者は福島が群を抜いている
言うまでもなく福島第一原発事故が要因である
3年経たないうちに直接死者数を超えてしまった

そして福島の悲劇が津波ではなく原発利権で私腹を肥やす連中によって引き起こされたのではないか
・・というストーリーが僕の中では真実として定着している

http://lite-ra.com/2015/03/post-933.html

↑2006年の国会で共産党吉井議員(京大工学部卒)が
「日本の原発は津波で冷却機能を失う危険性が高い」ことを指摘
非常用電源の強化を訴えたにも関わらず
当時の安倍首相は「地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、
経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認している」と一蹴
全電源喪失などありえないとまで言い切った
当時経産大臣だった甘利明の無策の罪も重い
せめて海側に置かれた非常用電源を山側に移設していれば
全電源消失という事態は免れたと言う識者も多い

もう一つ、同時期に起きた事件
佐藤栄佐久元福島県知事の逮捕である

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2275

佐藤氏は、頻発する福島原発の事故を公表するよう政府、東電に直訴
また国が推進するプルサーマルについても「安全とは言えない」とこれを拒否
直後にダム建設に絡む収賄罪で逮捕、実刑判決を受けた
その後の佐藤雄平知事がプルサーマル実施を認可
第一原発の3号機他メルトダウンに陥った3つの原子炉はプルサーマル方式を導入したものだった

この事件が検察のでっち上げだったと思われる根拠は
東京高裁の二審判決の内容がまことに奇妙奇天烈だったからだ
栄佐久氏と実弟の増収賄については実刑 しかし賄賂の金額は¥0というもの
つまりゼロ円受け取ったから収賄(贈ったから贈賄)だと認定したわけだ
受け取った金額がゼロならばそれは受け取らなかったということではないのか??
栄佐久氏は最高裁に上告したが棄却され二審が確定した
素人考えだがこれがまかり通ったら検察はどんな人間でも有罪に出来るということになってしまう
原発利権に巣食う権力が圧力をかけ
栄佐久氏を排除し、なにがなんでも原発稼働を優先させたとしか思えない
そしてその結果、防げたであろう不幸な事故を防げず
毎年多くの方がガン、自殺に追い込まれることとなった


31日:いわき市を廻る

午前10時に皆と別れていわき市在住の斉藤さんに案内して貰った
写真は火力発電所
近くに巨大な石炭集積所もある

福島第一原発三号機の廃炉作業の際、原子炉を囲うシールドが置かれていた↑

廃炉作業は少なくとも40年は掛かると聞くが・・・

決壊した堤防(手前)をそのまま残し新たな防潮堤の建設が進められている

高さはおよそ7~8mだろうか
10m級のスーパー堤防よりは少しばかり低いものの海は完全に視界から消えてしまった
これでは大津波の時に迫り来る波の状況を確認出来ず
かえって危険を察知するのが遅れてしまい避難のタイミングを失するのではなかろうか
津波被害から住民を守る術は高い堤防しか無いのだろうか
もしそうなら国土をそっくりスーパー堤防でぐるりと囲むしかあるまい
まことにもって馬鹿らしい話だ
地震後に住民をそっくり渋滞なく避難出来る道路の整備、海岸線近くの建物の強化、シェルターの設置
これらのほうが安価で現実的な措置だと思うのだが
なによりあの綺麗な海岸線を観られなくする無神経さが許せん

塩屋崎灯台
昭和32年(僕が生まれた年だ!)公開の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になった灯台。震災で傾いたそうだが2011年11月30日に修復された。

映画の主題歌を歌った美空ひばりさんの記念碑
ここを訪れる多くのお年寄りが手を合わせていた

記念碑下に拡がる美しい風景

いわき・ららミュウは観光客に人気のショッピングモール
中の魚市場は新鮮な魚介類を買い求める客で賑わう

震災で倒壊した水族館も営業が再開されていた

完成間近の橋はいわき市と人工島を繋ぐ
島には石炭加工の過程で出来たカス(デブリ)が主に集積され一般人の立ち入りは許されていない

休日にも関わらず案内役を買って出て下さった斉藤さん
2013年5月からの付き合いだ
奥様の御実家のお寿司屋さんで美味しいにぎりを御馳走になった
お世辞ではなく本当に美味しかった
もし原発事故が無ければ福島の豊かな海で獲れた魚が皿に並んだ筈だ
山海の幸を丸ごと犠牲にするほどの価値がある経済活動があるとは到底思えない
人間が人間以外の生物との共存を拒むならば
人間はこの蒼い地球に棲む資格は無い

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