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2008.5.22


Ichiro Tanaka 20th Solo Anniversary at Show boat (Koenji, Shinjuku. Photo by API)


Ichiro Tanaka 20th Solo Anniversary at Show boat (Photo by API)


Ichiro Tanaka 20th Solo Anniversary at Show boat (Photo by API)
L to R: Ichiro Tanaka, Mitsuhiro Saito, James, and me.

※All rights reserved



トッド・ラングレンと、TV出演前の楽屋にて(1992年だったかな?)

デフ・レパードのフィル・コリンと。2001年だったっけ?


どこだろ? 全く憶えがない。ARBだな。
アンプがピービーの三段2セットだから音が一番大きい頃だ。

 

右にいるのは21歳の僕だ。ZIGYっていうバンドやってた頃。


89年7月のオーストラリア。左からMartin Rotsey(Midnight Oil), Rob Hirst(Midnight Oil)、そして僕。

 

Midnight Oilのギタリスト、マーチンと。
ギターは僕のテレキャスター。彼が興味持ったのは僕のイフェクトシステム。TC-2290というディレイをヘッドとして
使っていたから。オーストラリアじゃバカ高くて買えないと言っていた。ウソ!? ワールドツアーやってるバンドでしょ??
彼曰く、「Industrialな音だね。僕は録音ではイフェクターは一切使わないよ。今回はオールドのフェンダーとギブソン335だけ」
後で弾かせて貰ったけどその時はその良さが分らなかった。今ならきっと分る。

 

Midnight Oilのロブ・ハーストと。最初に仲良く成った海外のミュージシャン。
タイトなビートを叩き出す。一緒にレコーディングしたかったな。

 

同じく89年「Sympathy」の豪レコーディングに参加して貰ったBoom Crash Operaのデイル・ライダー(Vo)。
このセッションの目的はディジュリドゥの音を収める事。そしてBoom Crashのメンバーと録音する事だった。
ニューヨーク録音をしたかったIクンは結局オーストラリアを好きになれなかったみたいだったけど
ミュージシャンとは仲良くなって帰国後も僕同様彼等の来日の機会には会ってくれてたみたいだ。

 

同じくBoom Crash OperaのKB、グレッグ・オコナー。
マーダー・ゲームのダビングをしているところ。譜面を用意したのに彼は全然読めなかった。
でも彼のプレイは凄く好きだ。3年後、彼はバンドを去ったんだけどその頃お互いに
煮詰まってたからバンド組もうぜってところまでいったんだけど金を出してくれるメーカーが
無くて断念。彼はバンドのジャケット・デザインも手掛けていて(専門は絵なのよ)、とても
いい絵を描く人だ。どうしているかな〜、会いたいな〜。

 

豪の人間国宝、チャーリー・マクマーン。彼のディジュを聴いて僕は豪でのレコーディングを強行した。



どこだ? 誰のツアーだ? ジギーか詩人の会じゃないかな、多分・・・
定版 の髪型だから年代まではちょっと判らないけど多分20世紀末(凄い言い方)



これは間違い無くサイコデリシャスだ。2004年