豪ツアー日記

和豪
出国カウンターにて


横浜港を離岸したところ


1月23日 P.M4:00
:いざ出航だ
船で現像プリントしたんだけどヘタ! 以上の写真がボケているのはカメラマンのせいではないです。

横浜から関内に出てタクシーで国際客船乗り場に着く。ポーターが入り口で出迎えてくれてさっと荷物を降ろしてくれた。ちょっとびっくり。昔ホールツアーやってた頃を思い出したな。新幹線を降りるなりイベンターが荷物を持ってくれてあとはタクシーに乗り込めば会場まで届けてくれるってやつだ。んでもって和豪&他のアーティスト、イベンターさんと合流、各々自己紹介していざ乗船。凄いのは一切船が見えない事。空港より密閉性の高いポートなのが国際線でしかも豪華客船の特徴なのかな。僕はあの映画「タイタニック」でデカプリオくんが乗り込む最初のシーンを想像してたから。

出発して2〜3時間、もっとかな〜東京湾をウロウロしている。こんなんでオーストラリアに着くのかよ〜と早速短気の虫が騒ぎ出す。ま、こうなったら腹くくるしかない。先の事は考えないようにしよう。で携帯はすぐ圏外に。あれ?釣り船に乗った時はアンテナ立ってたけどな。船内の気密が高いのかな??

夕食は7時半(他のお客さんは6時半から)。まーまーのホテルのコースメニューと同じ程度かな? ウエイターの多くはフィリピン人(だと思う)、気さくな連中だったけど給仕の仕方もフランクだった。そして僕等の食事時間はきっちり25分。僕は早食いのほうだから別にどうってことない(10分でもいいくらいだ)が、水川巨匠は「せわしない」と早々にディナーを拒否し夜食で栄養を摂取していた。

初日は何もする事なく部屋で呑む事に。350mlビールが免税で\200。ま〜ま〜のワインが\2.000。店で呑むのに比べたら安いけど量販店の価格くらいかね。貧乏人用に発泡酒を用意して欲しかったけど、勿論無かった(一人100万〜1000万払って旅する人と僕の金銭感覚が同じのわけがない)。

部屋はスイート(この上にロイヤルスイートってのがある)2部屋に4人。デラックスツインに一人(年長の僕が最初に独り部屋を貰った)。スイートってのは一人300万くらいのお値段なのかな? デラックスも200万くらいするのか、ま〜それなりに広くて居心地がいい。個人的にはこうしたゆったりクルーズよりファントムの最新型戦闘機の最高速で目的地を目指すほうが好きだけど。

さ〜こうして我々の旅は始まった、まだ旅の疲れが残っているから今日はこのへんで。



鳥島
伊豆諸島の無人島。島自体が国指定天然記念物となっており、全島天然保護区域である。
特別天然記念物アホウドリの生息地としても有名。他の「鳥島」と区別して、特に伊豆鳥島とも呼ばれる。


孀婦岩(そうふがん そうふいわ)
伊豆諸島最南端の島。勿論無人、つーか岩礁だよね〜。日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされているそーな。
以下ウケ売り

地理:東京の南約650km、鳥島の南約76kmに位置する標高99m、東西84m、南北56mの顕著な黒色孤立突岩。面積は0.01 km2。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6km、水深240mには火口がある。その形状のために上陸することは困難であるが、ロッククライミングなどで上陸・登頂した例がわずかに存在する(ただし転落事故も記録されている)。八丈支庁に属してはいるが、同支庁下の何れの町村に属しているかは未定の状態である。周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、孀婦岩の奇怪な姿や、高い透明度と豊富な魚影から、スキューバダイビングの聖地とする人も多い。

歴史:イギリス人ジョン・ミアーズにより、1788年に発見されたとするのが定説。初めてこの岩を目撃したミアーズは、その姿から「なにか超自然的な力が、突然この岩の形を今のものに変えた」と信じ、聖書からの引用で「ロトの妻」(Lot's Wife)と命名した。日本語名の「孀婦」(未亡人の意)はこの意訳。公文書上では「そうふがん」となっているが、伊豆・小笠原島民一般には「そうふいわ」で通っている。1975年に孀婦岩の北約500mの海域に緑色の変色水の発生が観測された。

生物相:海鳥の生息地となっているため、島は鳥の糞で白くなっている。また、頂部にイネ科の植物が存在するようである。

・・・だそーです。


ディナーに向う3人

1月24日:島ツアー、フォーマルデー
明け方、洋上に六面体の形した巨大石鹸発見。スミス島というそーだ。寝ぼけてて写真撮り損なったんで興味ある方はネットでどーぞ。

昼頃、鳥島に到着。うんちくは上記の通り。寝そべっているティラノザウルスの顔みたいでしょ?
その後リハやってカラオケルーム(で練習してたんです)出たら目の前にニョキッと突き出た岩。凄くビックリした。高さ100メートル弱。カツオがバカスカ釣れるらしいけど、ロッククライミングしたい人が多いってのも分るな〜、失敗しても助かる可能性高いもの。

夜はドレスコード「フォーマル」の日。つまりタキシードかダークスーツでないと夕方6:00〜翌朝まで部屋を出られないのだ。ま、一生に一度くらいいいか。水川巨匠は羽織袴で、小林はじめちゃんもびしっと決め・・・てるよーに見えるけどズボンのボタンがハマらなくて上着で隠しているのだ。そーいえば僕もARBの頃太り出して皮パンのボタンがはまらなくなった挙げ句チャックまでぶっ壊れた事あったな〜。ギター弾きながら楽屋に戻ってローディにズボン履き替えさせてもらったっけ。凄かろー、って威張れるかっ!!
ちなみに 僕はとゆーとやっぱあんまし似合ってないな〜。好きにならなきゃ似合わないのかもね。ま〜好きでも絶望的に似合わないケースもあるけどさ〜。ま、それはそれとして蝶タイしなきゃ食えないよー食事には見えなかったな〜、味も。



硫黄島 右は擂鉢山


南硫黄島
何故かノートパソコンを持っている巨匠

1月25日:悲劇の硫黄島、そして船内ライブ
硫黄島の歴史は今さら僕が言うこともないだろう。イーストウッド監督の映画(未だ観ていない)で若い人にも馴染みになった場所。早朝にもかかわらず多くのお年寄りが言葉無く見つめ、手を合わせている。そう、この乗客の殆どの方々は戦争によって人生を最も傷つけられた世代なのだ。

昼頃南硫黄島に到着、以下受け売り・・・
地理:面積3.54km2、周囲約7.5km。東京の南約1300km、硫黄島の南約60km、グアム島の北約1320km、火山列島(硫黄列島)の最南端に位置する。北西側に三星岩と呼ばれる岩礁がある。海食崖に囲まれたピラミッド状の火山島。最高標高は916mで伊豆諸島・小笠原諸島の中では最高峰。頂上付近は雲霧帯でいつも霧がかかっている。島は海食と崩壊による高さ100m〜200mの海食崖に囲まれ砂浜はほとんどないため上陸は困難。北マリアナ諸島パハロス島の排他的経済水域(EEZ)とも接している。そのために「国境の島」と呼ばれることもある。周辺海域ではしばしば海底噴火がある。小笠原国立公園に含まれる。
 第二次世界大戦終戦直後、島の調査のためアメリカ軍が上陸した際に1名の日本人が発見され、この日本人は戦争中戦闘機の航空兵だったがアメリカ軍により撃墜され南硫黄島に漂着して発見、救助されたのちに捕虜になったという話や、終戦直前に日本陸軍が陥落後の硫黄島とアメリカ軍の情報収集を目的として密かに派遣した兵士4名が南硫黄島もしくは北硫黄島に渡ったという証言があったためその情報を受けて終戦後政府が飛行機による捜索、ビラ散布による呼びかけを行ったという話があるが、いずれも事実であるかどうかは不明である。
1968年(昭和43年) アメリカから日本に返還されると、この島の自然環境の貴重さを考慮して1972年(昭和47年)国の天然保護区域に指定された。また1975年(昭和50年)5月17日日本初の原生自然環境保全地域にも指定された。そして、1982年(昭和57年)6月約10日間にわたって環境庁による本格的な総合調査が行なわれた。これ以降1人もこの島に上陸していなかった。しかし、2004年(平成16年)6月14日に広島県船籍のプレジャーボート「WATATSUMI」(わたつみ)が北東岸に座礁、乗員12名のうち9名が上陸、残り3名はボートで救助を待った。この9名が結果的に22年ぶりにこの島に上陸した人間となった。ちなみに乗員12名は全員無事救助された。

・・・ふ〜ん、なるへそ。 ま〜住むには大変そうだよな。横穴掘るしかなさそーだしジョギングはあきらめるしかないか。

ディナー(なんてえらそーな食事なんて無かったよーな・・・)後のライブ、これが和豪の今年の仕事初めとなった(写真はありません。演奏しながら撮るのもね、何だし)。三味線の萩原くんのトークで盛り上がったので一応成功。演奏は褒められたもんじゃなかったけど。


1月26日〜28日:海、海、空、空


夜明け

目が覚めてカーテンを明けたらあまりの美しさに息を呑んだ。一流のカメラマンならきっと凄い写真になるんだろーなー。これからの僕はフィルムにこだわっていくか、諦めてデジカメに移行するかの選択を迫られている。フィルムっつったって6〜7年使ってなかったからえらそーな事は言えないんだけどさ。F・カフカの「変身」を読み終える。昔とはまた違った印象だったのは訳者の違いかな〜、虫になったまま死んでしまった彼は何を象徴しているのだろうか? 兎に角この時を境に僕は和豪脱退をほぼ決めた。虫になったのは僕だ。


海、空、雲、ハァ〜・・・

毎日7時前には起きて朝食を摂った後ジムへ。30分エアロバイクを漕いでストレッチ、腹筋をやってプールへ。プール→サウナ→ジャグジーの順で1時間くらいを大海原とにらめっこして過ごす。

朝食は和、洋のいずれかを選べるがこの頃から洋食のみ(和にするとテーブルにご飯からおかずに至るまで並べられてしまう)、ヨーグルトとフルーツ、それに野菜だけをバイキングコーナーから運んできて食べる事にした。
運動の後すぐに昼食が待っている。和食だったり洋食だったり。そばやうどんだったら食べる。おかずが肉や魚類だったらパス、ご飯やパンもパス。せっかく並べてくれたウェーターの前で付け合わせのトマトだけ食べて全部下げて貰う事もあったな。

午後はリハ(元々はシドニー公演とレコーディング用にやる予定だった)。他のアーティストも練習を希望するから早いもの勝ちで時間はまばら。その前後に甲板を走った。1周380mを10から20周。360度で繋がった水平線を眺めながら僕はこれまでの人生、今年の方針について考えた。遅々として進まないリハに沸き出してくる怒りを片っ端から海に投げ捨てひたすら走った。一人部屋に戻ってからは黙々とビートルズの曲をコピーした。A day in the life、Mother should know、She is leaving home...etc.
  プロデューサーとしての比重が重かった和豪。今聴くとヒドいテイクのまま出した1stだった。雪辱を果たすためにも2ndは必然とも思えたが、例え録音し直しても結局はいいものは出来ないだろう。個々のメンバーの力量を埋めるためのトリックはもう使いたくない。キャリア、年齢の差は仕方ないがそれを埋めるものは音楽に対する姿勢だ。それはテクニックを超えて聴く者に感動を与える。残念ながら僕には見つける事は出来なかった。



マダン島の一番賑やかなところ。右は鈴なりになっているフルーツバット。


赤はソーセージ(魚肉かな)、黄色いのはバナナの素揚げ。
右は お母さんを手伝う子供達。手前にいるのが母さん。彼女からヤシの実を買った。


魚以外は全部チャレンジ。想像以上に美味しかった。


マシンガンビーチで。龍生さんとジモティ。右はお別れダンス(じゃないかな〜と)

1月30日:二度目のライブ、マダン上陸
前日のディナーショーは3曲ばかり唄った。お客さんに「ジョン・レノンそっくりね〜」と言われる。60過ぎの世代から言われたのは初めてだな。今回は水川巨匠の尺八講座をフューチャー。けっこう受けた。後で録音を聞き直したらアンサンブルがメタメタ。がっくし。

マダンではマジシャンの上口龍生氏と二人行動。まずは泳ごうぜとビーチを目指す。角を曲がる度に「ガイドするよ」と地元民が寄ってくる。断ったら大概いなくなるんだが、マシンガンの向こう側にうつっているヤツは「俺はこの辺のゴルフ場の管理人で、観光客のケアしてるんだ。ほら、危ない連中ばかりだろ? あんたらだけじゃ荷物盗まれちゃうよ。これは俺の仕事だから大丈夫」と近寄ってきて二人共あっさりダマされた。マシンガンビーチはガイドブックに載ってたから楽しみにしてたんだが岩場ばかりでビーチなんてどこにもない。「ビーチは何処だ?」とニセガードマンに訊くと「あともうちょっと」と言うから付いて行ったがどこまでいっても岩だらけ。結局2〜3キロは歩かされただろうか。頭来て「もーいい!」とUターンしたが可哀想だから(この時点でこいつがニセだとは分っていた)道売りのアイスを買ってやった。なんと1キナ(100円)もしないアイス3個で10キナとられた。売り子もグルだったのだ。「もういいからついてくるな」といっても結局ホテルまでくっついてきた。人のいい上口さんが2キナ札あげて「あっちいけ」でようやく解放された。
まずはホテルのバーでアイスビールを呑む。アイスと言うからにはもっとビシッと冷えていて欲しかったな。それからホテルのプールに向う。ところが「昨日の雨で水が濁ったからダメ」と言われて二人でガックシ。仕方なく道々売っている馴染みの無い食べ物を片っ端から買い食い。ちまきそっくりのライスボール、魚肉ソーセージ、串焼き、バナナの素揚げ、ヤシの実ジュース等々(これ二人分でさっきのキャンディ代より安かった)。

あ〜あ、こんなに海は近いのに海水浴は遥か彼方・・・。


日付の感覚が無くなった・・・

石原行雄の新刊「アウトロー・・」を読み終えた。赤道付近で読みたい本じゃないけど。

カミュの「異邦人」を読み返す。

毎日漕いで泳いで走った。過去を清算して身軽になるために。夜には仲良くなったアーティスト達、上口さん、ハワイアンギターのチューニングを教えてくれた鈴木祐輔くん、ウクレレ奏者の浦本くん等と呑み明かした。そして翌朝はまたジムで汗を流す。それなりに充実した日々。



節分祭 この人達は乗組員


ジムで仲良くなった宮崎の柿沼さん(左)と埼玉の岸川さん。右端のおじさまは知らない。
これ演奏中に撮った写真。不真面目だ!


フラダンサーの御二人。この世界では知る人ぞ知るトップダンサーだそーです。


サプライズ演奏終えて


下船間際にクラシックチームが飲み会に参加!
浦本くん、龍生さん、和声くん、なおちゃん、哲J(L to R)
前にいるのはせいじくん

2月3日:節分
大ホールでのイベント。最後に出演者全員でサプライズパーティをしようという事になって前日からリハを開始。写っていないけど九重祐美子さんと田辺靖雄さんもいた(とゆーか彼等を中心に催された)。なんとノーギャラ! 鈴木くん&浦本くんに僕とネオクラシックトリオのせいじくん、和声くん、なおちゃんがアレンジから譜面、ベーシック演奏までを担当。これで仲良くなった若い衆が飲み会に参加するように。


2月4日:オーストラリア領域に
ハミルトン島に上陸。イベンターの伊藤氏、鈴木浦本コンビに龍生氏、はじめちゃんと僕と大雨のビーチで泳ぐ。

2月5日:ブリスベン到着、さらばパシフィックビーナス!
僕等は朝7時に船を後にし空港を目指す。11時のフライトでシドニーへ。やっぱ飛行機は早いな〜。



スコットのバンドThe Webに哲Jとはじめちゃんが加わってセッション。この後大騒ぎに。
左端はWebのノーム。


ホテルの窓から

2月6日:スコットと合流
シドニー湾の港サーキュラー・キーは路上パフォーマンスで有名。スコットはここで年収の殆どを稼ぐ。午前中、スコット、哲J、はじめちゃんと僕でボンダイビーチに泳ぎに行った後サーキュラー・キーでセッション大会。みるみるうちに人が集まってきた。CD、翌日の和豪&The Webのフライヤーを手にする人また人。



ライブ当日に入港したパシフィックビーナス


これからマンリーに向う面々。ビーナス号をバックにポーズ!


ライブ会場のThe World


見慣れているオペラハウスを裏側から撮ってみた

2月7日:ライブ当日
2日遅れでシドニーに到着したパシフィックビーナスから降り立ったのはクラシックチームとハワイアンチーム、それに龍生くん。僕等より一日早く帰国する彼等と共に僕等はマンリービーチに出掛けた。ライブ当日だとゆーのに!!

前夜、僕はメンバーに脱退を告げる。僕と哲J以外は初のオーストラリア、だから練習はいいから遠慮せずに観光を楽しんでくれ、と。ライブは思いのほか盛り上がった。僕もいい演奏が出来た。日本じゃ考えられないけど終わって多くの女の子が寄ってきた(僕は日本人女性には全然モテないのだ)。そーいえば前回(2000年)某バンドでシドニー公演やった時も多くの人が祝辞をくれたっけ。前座の24歳の女性ギタリストがホテルまでついてきてちょっとばかり火遊びもやったな。懐かしい、彼女の名はジョージナ。金髪で細身の美人だった。彼女も今は30過ぎ。元気だろうか?
それはまーいいとして水川巨匠の「トワイライト・セイリング」が秀逸だったと思う。これまでの中では最高の出来だった。なんたって船で毎日巨匠に付合って貰って練習したからね。終わって凄い拍手を貰った。至福の時。